なんの話かワクワクしてる方には読んでもらうのも申し訳ないのではじめに言っておきます。
「その人の性格とかってさ、親によるところが大きすぎてビックリするよね」っていう話です。
まるで役に立つ話ではないのであしからず。
もくじ
親父とアイスピックと丸氷
masa(@masa_aki0917)です。
休む休むと言いながら、落ち着かないので、昔話でも。
両親は、僕が中学にあがる前には離婚。
転校したくなかった僕は泣く泣く地元の母方のほうに残り、親父は東京で起業すると息巻いて家を出て行きました。
人生のうちで、わずか10年くらいしか一緒にいることができなかった親父。
それでも、写真を並べれば僕と親父はうり二つですし、生き方も思想も、
そのすべては親父によるところが大きいと自覚しています。
何に憧れていたのかは知る気もありませんが、
親父が昔、自宅で丸氷を作っていたのをよく思い出します。
あの、ウイスキーなんかに使うまん丸なヤツ。
もちろん素人芸ですからキレイな丸にはならず、
それどころか、親父の得意技は「自身の指にアイスピックを命中させること」でした。
不器用でカッコつけで、
僕にとって毒にも薬にもならない、そんな姿。
なぜか親父を思い出そうとすると、まっさきに丸氷を作る、親父の横顔が浮かんでくるんですよね。
ところで、
この丸氷の作り方って知ってますか?
知らないという方は、ちょっとだけ想像してみてください。
…
どうですか?
おそらく、アイスピックで「カッ、カッ」って削るようなイメージを想像したかもしれません。
で、実際にそのとおりです(笑
作り方をざっくり文章にすればなんのことはない。
ただただ、角を削っていくという作業。
で、そんな丸氷。
これって育児、というか、人格形成と後の人生に似てるなぁって。
というのも、
丸氷の作り始めって、まずはおおざっぱに角を削っていくワケです。
で、そこから少しずつ少しずつ微調整していく。
これを人生に例えると、
最初のガッツリ削っていく段階こそ、その人の骨格を作るものなんだろうと。
7割くらいは、親や家庭環境。
2割は小~中学くらいの友人。
ほとんどこの段階までで、その人がその人たる「なにか」を作ってるように思えるんですよね。
残り1割は、
社会に出て、働いて、いろんな価値観に触れて、恋して、結婚したりしなかったり、浮気したりされたり。
そんな中で少し補正していく。
丸氷で言うところの微調整だと思います。
1割ってのは言い過ぎかもしませんが、ここで言いたいのは、
幼少期の荒削りが終わったら、あとは良くも悪くも、人格の変化に大きな影響はないってこと。
人によっては
「この人と出会って価値観が大きく変わった!」
なんていう気分になることもあります。
僕にも似たような経験はあります。
でも、それでも、
その人の持つ「核」の部分って、そうそう変わることはないじゃないですか。
根本的な性格とか。
考え方、思想、好み。
人との距離の取り方。
食べ物の好き嫌いもね。
上司から注意を受けて「すみません」とは言いながらも、心の深いところでは聞く耳なんて持ってない。
変わる気はあるけど、やっぱり変えられない自分はいる。
価値観の合わない人とは勝手に疎遠になるし、恋愛なんてその最たる例です。
極端な話、
最初の段階でミスって△に削っちゃったら、その人は人生の大半を△で過ごす事になるワケ。
もちろん、その後に微調整を重ねて、やっと丸に近づくことは可能。
だけど、それには膨大な時間と、本人が一回り小さくなるレベルの変化が必要で、生半可じゃなくなります。
人格のことをさして「まるくなった」なんていう言い方がありますが、
最初に丸くない人がまるくなるのは、やっぱり難しいんだと思います。
荒削りを担当する親は責任重大
だからこそ、7割かそこらの荒削りを担当する親御さんってのは、責任が大きいと思います。
最初に選んだ形、方向性、
丸なら丸で、丸くなりやすいように整えてあげた方が良いわけですからね。
でも、
ここで削りすぎてしまえば、尖った部分のない人間にもなり得ます。
逆に残し過ぎちゃえば、角がありすぎて困ったことになりかねません。
深く深くアイスピックを突き刺せば、
いくらなめらかになっても、その傷は一生消えないかもしれない。
過剰に力みすぎたら、
親父よろしく、親自身を刺した血で、氷を汚してしまう可能性もある。
ただ、ここで面白いのは、
なにも親だけが100%その人を作るわけでもないってところ。
1割か2割の「猶予」が残されていて、
微調整ながらも、最終的に残る形は、いかようにも変化するものでもあります。
丸だって、長い時間をかけていけば、最終的には星になるかもしれないってことですね。
そもそもな話、
丸氷だから良いってワケでもありません。
ウイスキーにも、角氷の方が相性が良いものもあります。
それと同じで、ようは「相性」だったりもしますからね…。
おわり
なにが言いたいのかわかんなくなってきたから終わりにします。
最後に、
親父は丸氷を作るのはヘタでしたが、それでも、自分の削った氷で、嬉しそうにウイスキーグラスを傾けていました。
会わなくなって20年以上経ちますが、
その姿と、親父が教えてくれたことは、深く深く、いまもなお、僕の心に残ってるようで。
僕は、親父が不器用に歪に、血を染みこませて削ってくれた「自分」という氷を、世間という酒に溶かして、少しずつまるくなっている最中です。