Twitterでたまたま見かけた「【妻の飯がマズくて離婚したい】」というマンガ。
【引用】https://select.mamastar.jp/543807
カンタンに内容を言えば「ご飯を楽しみたい夫VS食に興味のない妻」といったもの。
ちなみに僕は夫側。
食事は楽しんでしたいし、料理が苦になったこともない。
なんなら3食の献立をずっと考えているし、ヒマさえあればキッチンにいる。
善し悪しを語るつもりではなく、「なぜ自分はそうなのだろう」とふと考えてみた。
そこで思い起こされたのは、親父の「うまくもマズくもない料理」だったのだ。
Twitter上では同紙の内容について「食育の敗北」「親がちゃんと教えなかった」と、育ちに由来するものだといった意見が多かった。
しかしどうだろう。
その理論で考えるなら、僕は「食に興味がない側」にまわっていてもおかしくなかったように想う。
母はおせじにも料理好きとは言えない性格。
というより、正直に言えば母の手料理を食べた記憶はほとんどない。
今でも本人は冷凍食品や菓子パンをやっつけるように食べている。
中学に上がった頃には親父も家を出ていった。
母も家に寄りつかなくなり、僕は中学生の頃から家にひとりでいることが多くなったものだ。
ここまでの環境を鑑みるに、そのままお菓子やジャンクフードばかりの生活になるのが自然なように思える。
それまで、ごちそうと言えばせいぜい出来合いのミートボールくらいなもの。
カップ麺やスナック菓子を当たり前に食べて育った。
「親が教えなかった」という意見に従うなら、とても料理に目覚める要素はない。
しかし僕は「ほぼひとり暮らし」がはじまった当初から料理をしていた。
簡単なものしか作れないが、自分でスーパーに行き、米を炊き、味噌汁を温めた。
先天的に料理好きだったのか?
それとも前世が料理人とか?
…否。
秋風に吹かれながら「なぜだろう」を掘り下げた結果、そこで浮かんできたのは「親父」だった。
親父は小学校のうちにいなくなってしまったが、それまでに何度か料理をしてくれたことがある。
記憶を辿るに、ほんの数回だったかもしれない。
作るといっても内容だって陳腐なもの。
卵とウインナーとご飯を混ぜ焼いて、醤油をかけたようなチャーハンもどき。
あるいはとろろを擦ってご飯にかけただけ。
…あ、ふぐ刺しを作ってくれたこともあった。
あれはすごいと思う。
なにせ無免許で捌いたふぐを我が子に食べさせるのだから。
(子どもながらに「え…毒…」とも思った)
いずれにしても、親父の料理はいかにも「たまたま思い立って作るだけ」
男の趣味というか、思いつきの範疇だ。
繰り返しだが、回数も数えるほどしかない。
いつもカタチだけ入って、すぐに投げ出す性格だったようにも思う。
ただ、親父は、
楽しそうにメシを作っていた。
何度かしかない記憶の中の親父。
その食材を弄る姿は、いつもキラキラしている。
素人ながらやれ「米は炊きたて」だの「醤油はあとから」だの、毒にも薬にもならないこだわりを持ち、
できあがったメシを、愛おしそうに頬張っていた。
稀にしか作らないからこそなのか、母も機嫌がよかった。
いつもはチンした冷凍食品を兄と母の3人で囲んでいたものだが、親父が料理をしたその日だけは、家族4人で食卓を囲んだ。
たまにだからこそ「特別感」もあったのだろう。
だからこそこうして、記憶に色濃く残っている。
僕が料理を好きになった源泉は、その数回しかなかったイベントにあるような気がする。
あの日楽しそうに料理していた親父の背中を、今なお追いかけているのではないだろうか、と。
「食育」などといえば難しそうに聞こえるかもしれない。
良いものを食べさせ、味覚や品性を養い、マナーを身につけさせる。
しかしこの経験から思うに、そんな小難しく考えないでいいのではと感じるのだ。
楽しく料理する姿を遺し、嬉しく食卓を囲むことを感じさせる。
ただそれだけで、少なくとも「ご飯は嫌なこと」「料理はめんどくさいこと」という記憶は残らないのではないだろうか。
美味しくなくてもいい。
惣菜だっていいし、添加物たっぷりでも良い。
根本に「食べることは嬉しいこと」「作ることは楽しいこと」という記憶さえあれば、やがて自分でもそれをなぞる。
少なくとも、自分はそうなのだなと想えた。
それ以外のことは、後からなんとでもなる。
調理法も自分で知ろうとするし、マナーも身につける。
「楽しいイベント」を台無しにしたくないから。
これが「食事は嫌なこと」として根本に残るとやっかいだろう。
美味しいとか美味しくないとかの前に、「楽しくない」のだから。
明日は親父が得意だった「卵とウインナーのチャーハン」にでもしようか。
あのうまくもマズくもない、醤油味の。
そんな物でも、僕は献立を考えていると、あの頃のワクワクが還ってくる。