覚悟は積み重ねの中に残るもの

 

「明日から頑張るぞ!」といった類いのセリフを40年本気で使ったことがない。

その日やる気がなかったりして「明日から」とか「今度ね」と言うことはあるけれども。

 

「今日からダイエット」「来年こそは」

そんなセリフはもちろん、結婚するとき「幸せにします」なんてプロポーズもしていない。否、神様の前ではお行儀良くしたが。

 

僕がした唯一のプロポーズは「幸せになろう」だ。

「人は誰かを幸せになんてできない」「勝手に幸せになるもの」という想いも含まれるが、それ以上に「覚悟を先に口にするのは安っぽい」という信念があるから。

だから「これから頑張ります」という言葉は極力使わないし、そういう宣言をしているときほど実現しない。

 

仕事にしてもダイエットにしても勉強にしても、あらゆる分野において「やるときは、あるいはやる人は、もう黙ってやってる」に尽きる。

口にして己を鼓舞しているときは、例外なくパフォーマンスでしかないのだ。

それはやたら宣言する人が悪いのではなく、人は誰しも、本気じゃない事柄にこそ声が大きくなるということなのだろう。

 

本当の覚悟というのは、酒を呑みながらそのときのテンションで声高に発露するものではない。

そんなのは筋トレ動画に「これから頑張るので毎日いいねください」とコメントするようなものだ。

 

本気で何かを成し遂げるときに在るもの。

それは静かに燃え続ける青い炎。暗い暗い情熱。

誰かに魅せることもなく、歯磨きのように続けるものだ。

 

まるで丑の刻参り。

あの儀式をしようと思ったら、宣言はない。確か人に見られてもダメだったハズだ。

 

でも、だからこそ、そこには静かな覚悟が宿る。

 

きっと丑の刻参りをしている本人も、釘を重ねたら重ねただけ、恨みは確固たるものへと変わっていくハズだ。

やらなければその恨みはもっと風化していくのだから、執着に似た感情。やればやるほど強くなっていく想い。

 

覚悟は徐々に強くなり、その過程で固まっていくものじゃなければいけない。

振り返ったときに「気づけば創りあげていたもの」であってほしい。

 

「石の上にも3年」などと言えば時代錯誤と笑われる時代だが、石の上に3年座ってから「覚悟してました」と言ったほうが、いくらか格好いい。

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