過去に戻れるなら

「もし過去に戻れるなら」

そんな妄想が好きで、ついふけってしまう。

「宝くじが当たったら」「なにを食べても太らない体質だったら」「異世界に行ったら」

考えても仕方ないことなのだが、浅はかな欲望を織り交ぜたたらればを脳内で繰り返してる時間が、呑みながら読む小説くらい好物だ。

ところが久しぶりに「過去に戻れるなら」という妄想で己を慰めようとしたら、答えはNOだったので、自分でも少し驚いた。

たいていこういうのは欲望が入っている。だから「3つ願いが叶うなら」という問いには誰もがきっちり3つの願いを答える。「願い事は自分で全部叶える」なんていう人がいたら、その人は願いを叶える前にもう少し場の空気を読むことを叶えるべきだろう。

とはいえ、その空気の読めない答えが自分の中で自然と湧き上がってきた。どうしたことかとレモンサワーを傾けながら考えてみたが、どうやら私の答えはもうそれで決まったらしい。

過去に戻りたいと願うことは何度もあった。学生になって青春を謳歌してみたい、2週目は余裕のある男女関係を楽しみたい、大切な人の心の声に気付きたい。大金を手にしたい。ただシンプルにこれから起こることを知ったまま生きてみたい。

まあ正直、今でもこうしたチートについては魅力を感じる。簡単に大金を手にして、大人の余裕で疑似恋愛を楽しみ、若さをむさぼる。けれど、それらはどれも最初だから楽しく、美しく、壊したくなるほど儚い。同時に、そうだったからこそ、今の自分が在る。

例えば大金を手にして、キャンプ道具を揃えるとしよう。今の知識で上等なギアは揃うだろう。けれど、その状態でキャンプを楽しめる自信はない。キャンプがいま楽しいのは、これまでに沢山の失敗を重ね、あーでもないこーでもないと考えながらギアを新調したりしてきたからだ。その道中がキャンプ場なのだ。いきなりレベル最大では道中なんて楽しくもなんともない。

キャンプだけじゃなく、なんだってそうだ。恋愛だって、若くて初々しくて、はじめてだから、誰しもの胸に初恋は輝く。大切な人のピンチに気付けなかった経験があるから、今度こそはと祈れる。お金はまあ、あるに超したことはないけれど。人間関係だって置かれた環境だって、失った席があるから、新たな縁があるものだろう。

なんというか、まあ、月並みだけど、過去は「その時」だったから楽しいし、いろんな取捨選択があって、今の私がいる。完璧な人生は何度やったって手に入らない。両手に限りはあるのだから。結局はどっちを選んでも違う歓びも後悔もある。とりこぼす人生はあるのだ。

そう思えるのは、今の自分に満足しているからなのかもしれない。初めての青春を謳歌して、金がないからビジネスを身につけて、世界が歪むような別れがあったから誰かを大切にできて、そういう点と点がひとつもズレることなく繋がってるから、今の自分なのだ。だから「過去こうしてたら」なんてことに興味はもう、なくなっていた。レイズしないで降りたのだから、その後で相手の手札を見ようなんてマネは、運命への冒涜なのだ。

きっとこれからも、覗けなかった手札は覗けなかったままでいい。全ての事象が今に繋がっていて、そんな今に私は満足していて、これからも、先のことなんて知らなくていいのだ。

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